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MAHIROSSIMO

OFFICE CUEとLDHのオタクが恋クレと田中俊介さんの話をする

2018年9月1日、大阪は九条にあるシネ・ヌーヴォさんで行なわれました「恋のクレイジーロード」舞台挨拶付き上映ならびに通常上映にとても感銘を受けたので、レポというか感想を書きました。
あとは主演の田中俊介さんについてのあれこれを。
鉄は熱いうちに打つべきだったかなーもう賞味期限切れかなーとは思ったんですけど、膨大な下書きというか覚書があったので、貧乏性としては削除できませんでした。
ていうかここは何のブログなんだよってかんじなんですけど、もうそういうこと考えるのは無駄だと思い知りました。ジャンルは「私」です。諦めてくれたまえ。



こちらのレポ、ほぼ当日現地にはいなかったボイメンファンの友人たちに対する私信的なものです。
口調のニュアンスなどはほとんどうろ覚えですし、様々な間違いについてはどうか目をつぶってください。
彼女らに引率してもらってナゴヤドームへ行くのでお礼を兼ねています。わーいいっぱい予習するぞー!
ちなみに書き手である私ですが、CUEバカ歴めちゃ長、フランス人自転車選手おっかけ歴まもなく10年、LDH入国3年のオタクです。こちらをふまえてどうぞ。







まずは「恋のクレイジーロード」という映画そのものについての感想を。ネタバレします。

なぜこれを見る気になったかっていうと、ダブルミンツを見ていたからです。
ボイメンファンの田中俊介さん推しの友人が激推ししていたので、おうおうどんなもんじゃいと当時はるばる2時間かけて桂川まで見に行ったら頭をガーーーーーンと殴られるほどの衝撃を受けまして。
そして月日は流れ、当然私、彼が出たハイローにも殴られていますので、直前に見たDTC(先行上映)の田中俊介さんがあまりに素晴らしく、もっとお芝居してるの見たいな〜!と思っていたところ渡りに船!彼の映画が見られる上に本人のトークまで聞けるんだったら行くしかじゃん!?となり、朝から整理券取りに並んだんですけど電車が遅れて出遅れて補助席でした。すごい人気だ…。
余談ですがこの日にちょっとお話ししたボイメンファンの方々、ド新規にわか初見別ジャンル野郎の私にもたいへん優しくしてくださり、とても嬉しかったです。(そういえばハイローから来ましたとお伝えしたところ、ハイローからボイメンにくるひとっているんだ!って驚かれたんですけど、たぶんめっちゃいると思うぞ…)新規に優しい現場は素敵だな。かくありてえよ。

実は短編映画だと知らずに行きました。
だから初っ端から展開がフルスロットルでどういうことだよ!?!?って最初すごく混乱したんですけど、尺を考えるとこうするしかないという構成で天才だ…と思いました。
トークショーの中で、白石監督はリアルとフィクションが切り替わる瞬間の絶妙なバランスを描くのがすごいうまい、みたいな話をされていたと思うんですけど、まさにその描き方がばちっとハマった映画でした。
映画っていうのはもちろんフィクションなんだけど、それは偽物とかつくりものっていうことじゃなくて、映画を作り込んでいくというのはとにかくリアルを追求すれば良いってことでもなくて、…じゃあどうすればいいんだろう、どれが最適解だ? ということを考えて、描かれたものだな、と。そういうことを撮る監督なんだ、と思うなどしました。
リアルとフィクションの境界をブレイクスルーして生まれるものの美しさ、いびつさ、奇妙さ、おそろしさ、そのあわいに発生する熱というかそういうものが見える映画だなあと思いました。とても好きです。
映画のコンセプトとしてまず「二重人格の田中俊介」というものがあったという話だったんですが、結果組み立てられたパズルの完成系がめちゃくちゃ気持ちのよい形をしていて、そこに気付いた瞬間に同じ日の通常上映のチケットをおかわりしてました。メイキングが観たかったんですよ。

つまりどういうことかというと、完全に私の妄想、解釈になりますが、この映画一見男女の逃避行物語に見えるけれど、実際のところ本質はそうじゃないんじゃないかと。
そう見えるけれど、別のものを示唆しているのではないかと、そう思いました。
これパンフとか読まない状態での妄想なので、ちゃんと正解があったらごめんなさい。と書いたあとでパンフ読んだらもしやこれ正解なのか?みたいなことが書いてあったのでちょっとゾクゾクしました。

ひた走るバスの乗客はすべて、多重人格者の人格ひとつひとつ。そしてそれらを殺す(消す)ギミックとしての女装男。(運転手の顔がはっきりうつらないのは「人格」ではないから。)ほんとうは女装男は誰か以外すべてを殺して、一人にしなければならなかった。(まるで召喚されたように車外に立つ女装男が最初にすみれに見えて、声が聞こえて、すみれの内側を言い当てたり、名前を呼んだりするのは全員が根底で繋がっていることを意味しているのでは? その証拠に女装男とすみれは同じセリフを言う)だけど人格は統合へ向かう。人格と人格が恋に落ちて、狂ってしまったから。女装男がバスを降りて「幸せになってや!!」と叫ぶことで残された二人の人格統合のフラグが立つ。最後に残った宙也とすみれの人格が統合する暗示としての「妊娠」。きっと新たな人格が生まれる。元に戻るわけじゃない。戻れない。行きはよいよい帰りはこわいってそういうこと。映画の最初に噛み合わなかった歌をふたりで歌い終える。もしかしたら、スーツケースの中身が主人格かもしれない。どこかへ行きたい。どこへも行けない。だってバスは停まらないので。

はい。全部妄想ですけど。
宙也の人格変更がキモの映画じゃないの?ってなるかもしれないけど、すみれは宙也を「両極端」と言うんです。つまり、「両極端」なだけ。彼の中に二人いるという対応じゃない。そう見えました。違うかもしれないけど、妄想掻き立てられる映画、解釈が広がる映画が大好きなんですよ。もう脳がパンクするくらい考えたいタイプ。答えは欲しいけど、自分で考えもしたい。
後述しますが、これが田中俊介さんが言う「映画体験」というものなんじゃないかなあと思うんです。

あと私「青春トライ'98」とか「ママ離れキャンプ」が大好きすぎる思春期を送ったので…フェイクドキュメンタリーを見せられると愛してしまうので…「超エドガーケイシー」…クセになってしまいました…いやコンセプトが違うのはわかってるけど…!!
ていうかこれ恋クレと一緒に見なきゃだめなやつですね。メイキングも素晴らしかった。これソフト化されないってマジ? 元町行きます。

ここまでで2000字超えてます。
自分の推しについてもこんな長文書いたことねえわ!!!!と思ったけどありました。あったので大丈夫です。セーフ。続けます。



続いてトークショーを聞いて、思ったことをつらつら。
主に役者・田中俊介と彼に心酔する人々についてあれこれ。そして「映画」や「芝居」というものについて。

すごいミーハーな話を最初にしておくと、生で田中俊介さんを見るのが初めてだったんですけど、えくぼがめっちゃかわいいですね。あと特に腕の筋肉がハンパねえ。腕だけじゃないのは存じ上げてます。そして首が太い。さらに声が良い。表情がクルクル変わる。話し方から彼の真摯さが突き刺さるように伝わる。推せば推すほど推し甲斐のあるひとだなあと思いました。報われる。彼を戴くひとたちは幸せだなあ(言い方)。

お芝居ってたぶんロジックでも作れる。設計図を書いて組み立てるみたいに。最初から最後まで、ぶれずに芝居をするひとはいる。例えば泣き方、そのときの唇の戦慄きかたまで、決まったように泣くひとはいる。私はそのことが逆にたまらなくいびつで美しいことだと思うことがあって、そういう役者さんのことも、とても好きです。これは私が舞台をわりと見るほうで、同じ芝居を毎日やり続けるひとを見ることが多いからかもしれないけど。
けれど田中俊介さんって、それとは全く真逆のタイプの役者さんなんですね。ダブルミンツでびっくりしたのはそれでした。
「憑依型」ってよく言われるけれど私はその言い方あまり好きではなくて、なぜならイタコ的に役を降ろすニュアンスだと、依り代側の役者のポテンシャルがあんまり加味されてないように聞こえるからです。
だからあえて「癒着型」と呼びたい。そういうタイプの役者さんですよね。
「うわ!!!!!そこにいる!!!!!!!」っていうお芝居をするなあ、と思いました。
だからこそ役に入り込んで、飲み込まれて、たくさん消耗するんだろうなあとにわか思います。

そういえば水野勝さんも、ハイローの風太くんが「えっっっっっウソ…いる…!!!!!!」っていう出で立ちと解釈と芝居だったので(田中俊介さんも)ボイメンさんすごくない????なにこの人材?????どうなっているのだ名古屋!!!!ひいては愛知!!!!!と思っています。どうなっているのだ。ていうか他のみなさんもお芝居うまくない???すごくない???(お寺ごはんとワッショイダー全話見ました。すごい好き)

閑話休題。

役者・田中俊介は共演による化学反応を見たくなる役者だ、という話。
トークショー中にもまさにこのセリフで表現されていましたが、いわゆる「バケモンにはバケモンをぶつけんだよ!」行為ですよね。
映画を観た後のトークショーだったので、わかりがすぎて首がもげそうでした。もげもげ。
このバケモンには行為のお話の時に田中俊介さんが「相手がすごい役者さんだから、じゃあぼくもバケモンにならんといかんと思ってめちゃくちゃ必死でやった」って言ってたんですけど「あなたもうとっくにずっとバケモンですよ…」と思ったしきっとみんな思っていたと思います。貪欲や…。
きっと、だけど、その「ならねば!」というあなたの姿勢をして、みんながあなたを推す所以であることだなあとしみじみしました。

映画が大好きな田中俊介さんというひとは、お芝居がしたいのはもちろんなんだろうと思うけれど、きっとそれよりも「映画を作りたい」んだろうなあということがビッシビシにわかるトークショーでとてもよかったです。
内側にいる役者と外側にいる観客が一体「映画を体験すること」をどう定義するのか、してほしいのか、するべきなのかというお話をとても熱烈に語っていらっしゃったので…やべえこのひとめっちゃ真摯だぞ…と震えました。
この話を聞いて、ああ朝早くから来て良かったなあとほんとうに思ったので。

映画全編撮り終わりました、じゃあ俳優部はこれで終わりですおつかれさまですっていうことじゃいかんと思う、自分が参加して作り上げたものをひとに見てもらいたいなら、自分の手でも宣伝をしなければいけない、可能であるならば公開したあとの舞台挨拶などにも立って作品に対する思いやなんかそういったものを話すべきだと思う、というようなお話をしておられました。
ああいう言葉をスクリーンのあっちがわの人間である役者さんが、こちらがわの観客に向かってお話されるのをいままで私が観測していた界隈ではついぞ聞いたことがなかったので、とても感激をしました。(同じようなことを、かなり商業ベースに乗ったことばに翻訳して伝えてくれるひとはいるけれど)
あえて悪い言い方をすれば「あなたがここにいればなんだっていい~見れたらいい〜」っていうファンだって存在する。まさに言ってしまうと、舞台挨拶だけ見て本編見ない人だっているかもしれない。登壇して当たり障りのない話をして「見てね」っていうだけでも「キャ~~~」って言ってくれるし、喜んでくれるし、満足してくれることもあるかもしれないけど、そうじゃないんですよねきっと。少なくとも彼にとっては。
「ここになにが描かれているか、どういう気持ちで臨んだのかを伝えるから、見てくれ。感じてくれ。その続きを体験してくれ」ということをきっちりと自分のファンに伝えて、わかってほしいと願っていた。見ないふりもしてなかったし、諦めてなかった。
うわー!私はちゃんとしている男に弱いぞ!
そして同時に、観客は映画そのものだけではなくて見た後の(ネガポジ関わらず)気持ちであったり一緒に行った友達と感想を言い合ったりすることを含めて映画を「体験」してほしい、つまりそれが「映画体験」ってやつだと思うんですよねってキラキラした瞳で客席に語りかけていて、そのあたりのくだりが強烈に印象に残っています。
あと坪井さんが白石監督とひとつ決めていたことがあって、初出だ、というふうなことを言っておられたので書くと(もうその日からひと月経ったけど)「この映画で田中俊介を全国の劇場に立たせよう」的なことだったらしく、田中俊介に自分の映画を観終わった人たちの顔を見せてあげてえ!という思いからの決めごとだったらしく、強火の田中俊介担の決意を聞かされたかたちになった。
それ、叶っているじゃん!!と勝手に嬉しくなりました。
推すという行為はその行為の真摯さによって必ず報われるのだなあとしみじみとパイプ椅子に腰をやられながら泣きました(そういうはなしではないと思います)。
いやマジでわたし今まで伝聞で田中俊介さんというかたのことを聞いてはいる、お噂はかねがね…そして土曜日が初生しゅんくんさんだったレベルのドにわか新規がこんな気持ちになるのおこがましいんですけど、トークショーでの思いの丈をうかがって二度、三度涙ぐんでしまいました。
私はちゃんとしている男に弱いぞ!(二回目)

ぼくら役者はどういった姿勢でいなければならないのか、プロモーションにおいてみなさんに向けて何を見せれば良いのか、といったことを観客に向けて所信表明のように語る田中俊介さんの姿が、私はちょっと自分たちのお芝居について語る森崎博之さんとオーバーラップしました。

トークショーを聞きながらたまらず「ああ田中俊介どうかどうかいつか鈴井貴之や森崎博之やひいてはTEAM NACSの面々(特に平成の怪物のかた)と仕事をしてください」と祈ったんだけど、それは彼が彼らと同じ熱量を持って「映画」や「芝居」の話をしていたからなのだろうなあと思いました。あっちはどっちかっていうと舞台畑なのであれですけど…ねえ…CUEさん…どうすか…ボイメンさんとNORDと絡めてなんかいけませんか…?

もう本題とかなくどんどん話がズレて長くなっていくばかりですが、もうとにかく最高でした!天才!ということが言いたくて、このお気持ちをどこかに残しておきたくて、あわよくば誰かに読んでもらいたくて、書きました。
もしここまで読んでくれた人がいたら、ありがとうございました。




次はミラノーサンレモ観戦記2015と、ツールドフランス帯同記2015でお会いしたい。
(願望)

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